会社に頼らない生き方

香港は終身雇用という制度が無い社会。つまり、景気が良かろうが悪かろうが、自分のパフォーマンス次第なのはもちろん、会社の一方的な都合で、いつでもクビを切られてしまう。それが大前提の社会だと、人々の意識はどう育っていくか。

まず、「いつか自分は独立するんだ」という意識を多くの人が常に持っている。実際に起業するかどうかはともかく、少なくとも、いつでも転職できるように常に意識している。だから、社会人は皆、夜間コースや通信講座で学位取得に励んでいるし、その学位の種類も職業で即戦力となりそうな内容ばかり。私の周りも、学位を複数持っている人がほとんどだ。

また、一つの会社に居続けていてはいつまでも同じ業務の繰り返しになってしまうから、仕事をある程度覚えたとなったら、次の段階へとステップアップするために、社内の配置転換や昇進を待たずして自分からさっさと転職する。私自身も採用側として多くの人を面接してきたけれど、「攻めの転職」を繰り返してステップアップしてきた人であれば、転職歴の多さは必ずしもマイナスではなくて、むしろ好印象だ。

そして、いつか大きなチャンスを掴むために、いつもアンテナを張っている。アンテナの一つに人脈を大事にするというのがあって、かつての同僚や仲良くしていた取引先と、転職してもお互いに常に連絡を取りあっている。だから、転職先で経験を積んで一回り大きくなると、昔の上司に認められて以前の会社に復帰、なんていうケースもざらにある(もちろん、その時には待遇がぐんと上がっている)。また、元上司自身も他の会社に攻めの転職を遂げていて、そちらにスカウトされるというケースもある。もちろん、取引先や仕入先から好待遇で迎え入れられることもある。だから、狭い業界にいると、競合相手や取引先の社員同士が入れ替わっていたり、なんていうことも結構あって、これはまぁ、行き過ぎるとちょっとどうかと思うケースも正直あるけれど、香港人はあまり気にしていないみたいだ。

独立して起業する人も多い。その結果失敗したとしても、また他の会社を立ち上げる人もいれば、勤め人に戻る人もいる。でも、それで人生終わりじゃない。転んでは立ち上がり、立ち上がってはジャンプし・・・と、何度でも再チャレンジ。「会社を辞めること」に対する恐怖心というのが、日本のそれに比べたらはるかに小さい理由は、そんな再チャレンジ可能な社会だからだろう。

もちろん、資産管理もしっかりしていて、財テクには余念が無い。株などの運用はもちろん、以前私が下宿させてもらっていた当時20歳の大家さん(!)は、高校を出て働き始めたばかりでアパートを買い、自分が住む傍ら下宿人の私を置いて、私からの家賃収入をローンの支払に当て、不動産の投機を見ては買い替えを繰り返していった。ほとんどの人が、突然無職になってもしばらくは食べていけるだけの資産や貯蓄を準備している。

また、中国系社会は家族のつながりを非常に大事にする。だから、いざとなったら家族や親戚がお互いに親身に助け合うという暗黙の了解と余力を保持する覚悟が、根底にある。

では、どうして香港社会はこんなに逞しく、個人のリスク管理が徹底しているのだろうか。それは、香港自体の歴史にも由来する。もともと小さな漁村だった街がここまで発展してくるまでの過程には、様々な国の為政者の手にゆだねられるという植民地時代を経験した近代史があり、その緊張は最近の中国返還直前にも、そして一国二制度という条件付で中国の一部となった現在に至るまで続いている。だから、香港人は基本的に、為政者に対する警戒心が強く、自分の人生を国に依存していない。その顕れとして、地元の香港人の多くが、世界各国の国籍を保有している。海外の永住権目的で移住していく人たち、そして、永住権を取得したら香港に戻ってくる人たちが、ものすごく多いのだ。気合の入った家族だと、長男はアメリカ、次男はカナダ、三男はオーストラリア、四男はイギリス、末っ子は南アフリカ、といった具合に、それぞれ別の国で永住権を取得して戻ってくる。一族の存続と繁栄のために、カントリーリスクの分散というわけだ。

国のことは、はなから当てにしていない。でも、社会に対する不安や不満を感じている暇が無いほど、この街の人たちは、自分の人生を自分で切り拓くのに忙しく、逞しい。そして、チャンスを追究できる自由が許されている『香港の良心』というべき自治を自分たちの手で守っていることを誇りに思いながら、毎日、生き生きと輝いている。