「喧嘩」の流儀

ある日、私の営業チームにFさんというスタッフが加わった。彼は大陸出身のエンジニアで、香港に移民として移ってきたばかりだった。文系出身の私がメーカーでの営業をするにあたって、どうしても技術的な内容を扱うには限界がある。そこで、日本語が流暢な技術系の彼が私の補佐をしてくれることになったのだった。


さて、Fさんはとてもとても善い人だった。いつも穏やかで、やさしく、決して怒らず、仕事振りは几帳面で、人にも物にも状況にも気配りができて、情に厚くて、はにかむ笑顔が純朴で、礼儀正しくて…。人間的にとっても尊敬できる人で、私は彼のそういう人格が大好きだ。

 


でも…それが、仕事上で仇になることとなる。Fさん、怒れないのだ。


仕事では、自分の意見を主張しなければいけないことがある。相手の言うことが理不尽で、正義のために対立しなければいけないこともある。ところが、彼の超人的にやさしすぎる性格が、裏目に出てしまう。相手の言い分に強く出ることが出来ず、すぐに言い負かされて折れてしまう。当然、仕事で結果が出せない。
 
香港の労働市場は、競争社会だ。募集したポストの職務内容に対し、そのスペックを満たしている人材を中途採用するわけだけれど、もしも会社の期待に応えられないと判明したら、情け容赦なく最初の3ヶ月間の試用期間中にクビを斬られてしまう。会社はすぐにまた募集をかけて、代わりの人材をいくらでも転職市場から探せるわけだから、それでも困らないのだ。 
 
さて、がんばっているのになかなか思うような結果が出せないFさん。彼の試用期間もそろそろ終わるという頃に、私は苦渋の選択を迫られることとなる。そう、…彼を残すか、否か。
 
上司からは、ドライに決断するようにと言われていた。替わりはいくらでも探せばいいのだから、と。そして、それが香港社会のルールなのだということを私は痛いほど知っていたけれども、でも、どうしてもFさんに関しては、私はそこまでドライになりきれなかった。
 
Fさんは高い技能を持っていたし、とってもいい資質も持っていた。彼の「優しすぎる」性格に、どうにかしてタフさを身に着けてもらえれば、彼は絶対に会社にとって、価値ある人材になるはず。今、彼が実績を出せないのは私の指導力の問題。だから私にもう少し時間をください、と上司に頼み込んで、特別に試用期間を3ヶ月間延ばしてもらうことにした。
 
そして、これは上司には言わなかったのだけれど、私が彼に対してどうしてもドライになりきれなかったもう一つの本当の理由。それは、彼が私と同じ「移民」だということだ。香港に渡ってきたばかりのかつての自分とどうしてもダブってしまう。青かった自分が今の自分になれたのは、その時々で必要な手を差し伸べて、私を根気強く指導してくれた周りの人たちのおかげだ。その人たちへ直接恩返しをすることは出来ないけれど、今、彼に対して力になることが、私の義務のように感じたのだった。
 
彼に、タフさを身に着けてもらう。さて、どうしたらいいものだろうか。
 
営業部という立場上、商品を販売するだけではなく、品質クレームなど問題への対処も行わなければならない。そして問題解決のためには、当然、社内の問題のありそうな各方面に斬り込んでいかなくてはいけない。問題の根を明らかにするということは、その責任者や担当者の仕事の問題を明らかにするということ。下手したらお互いにクビが飛ぶ危険と常に背中合わせのシビアな労働市場。斬り込まれるほうは身の危険を感じるからガードが固くなるのは当然だ。そこを、お互いに気持ちよく、前向きに問題解決に導いていく力量が試される。時には、正義のためには嫌われ役をも厭わない覚悟も問われるのだ。
 
問題の担当部署に、連絡をとるFさん。くだらない言い訳をする相手にも、穏やかに笑顔で接している自制心は人間としては素晴らしいのだけれど、相手の言い分に反論できずに、言いくるめられて終わってしまうことが続いていた。
 
「すみません。担当者は、どうしても言い訳ばかりで…。どうして、こんな言い訳ばかりなのか、もう、本当に…。」
 
日に何度も苦悩しているFさんに、私はその都度、違う対応をする。アドバイスだけのときと、実際に仕事を引き取ることの二種類だ。しばらくたったある日、Fさんと二人だけで話をすることにした。
 
「ねぇ、Fさん。私は毎回、アドバイスかヘルプのどちらかで対応しているけれど、どういうときにアドバイスで、どういうときにヘルプなのか、分かる?」
 
「さぁ・・・・。」
 
困惑しているFさんに、私はこちらの意図を説明する。
 
「Fさんが、自分の力で、自分の職務権限のMaxまでがんばって、自分の責任範囲で出来るだけのことは全て工夫して、努力した。それでも、相手の担当者が、相手側の部署の体制の問題とかで、どうしても自分の職務範囲や権限内では解決できなくて、相手の上司に働きかけないといけないときがあるよね。そういうときには、Fさんから話をするより、Fさんの上司である私から相手の上司に話を通したほうがスムーズにいく。だから、Fさんの仕事はそこから先、私へバトンタッチなのよ。
 
でも、私がFさんにアドバイスだけを出しているとき。これは、Fさんがまだ、全力出していない状態のとき。もちろん、Fさんが一生懸命やってるのはわかってるよ。でも、Fさんだったら、もうちょっと工夫して出来るんじゃないかって、信じてるからね。」
 
問題解決のためのコミュニケーション方法は、場面によって千差万別。
 
そこで、私は彼のことをあらゆる交渉場面に連れて歩くことにした。本来なら彼が同席しなくていいマネージャー同士の交渉の場であっても、私は彼の腕を掴んで連れて行き、自分の隣に座らせる。「Fさんは、今回は発言しなくてもいいよ。ただ、私がどういう風に交渉するのか、見ていてね」といって。
 
問題の種類や、その段階によっては、一対一の交渉が有効なこともあれば、全関係部署を集めて全体会議を開くこともある。時には、相手の目を見据えて激しく対立することもあれば、同じ相手の懐に飛び込むように教えを請うという形で、こちらの思いを結果的に伝えて理解してもらうこともある。自分より強い立場の人に対してでも、現場を知る自分が一番正しいと信じるならば、臆することなく立ち向かわなければならないこともある。相手の言い分が個人的な甘えなのか、その裏にあるシステムの限界ゆえなのかを明らかにするには手順があること。問題が明らかになったら、そのシステムの改善を働きかけるためのしかるべき相談ルートを通すことが大切なこと。そういう基本を踏まえつつ、それらをどう私が応用したのか、場面ごとに解説することを毎回繰り返した。
 
またあるときのFさん。
 
「すみません、どうしても工場の中国人達に、理解してもらえません。やっぱり、中国人だから駄目ですよ…。」
 
私は言う。
 
「私は日本人で、彼らが中国人である、というのは事実。でもね、中国人だから駄目、という理由で仕事をあきらめることだけは、私は受け入れられない。
 
確かに中国人に多くみられる思考の傾向はあるかもしれない。でも、それと個人の能力とは別。あなただって中国人だけれど、本当に正しいのが何かは分かっているわよね。だから私は、あなた個人を、信じている。だったら、他の中国人だって同じよね。彼らだって、本当に正しいのが何か、ただしく学ぶチャンスが与えられて、理解してくれれば、協力してくれるはず。
 
私は血統的には日本人だけれど、この業界で必要な知識や経験を身に着けるにあたって、お手本を示してくれたり、教えてくれたのは周りの香港人や中国人だった。今の私が正しい知識と論理的な思考で現場の問題に対処できているとすれば、それは彼らから、洗練された確かなものを受け継いだから。つまり、国籍や文化の違いは、まったく関係がないのよ。
 
私が尊敬している彼らも中国人なのに、中国人であるあなた自身が、『中国人だから、出来ない』といって国籍や文化のせいにして、そこで思考を止めてしまうのは、どうだろうね?私は、中国人であっても、正しいことを正しく説明したら、理解できる人たちだと思う。個人個人の能力の可能性を信じてるけどな。」
 
激しく反発する相手に対しても、ひるまず動じない私の横で、一人おろおろするFさん。ある日、Fさんが言う。
 
「私、どうしても、人と喧嘩が出来ないんです。喧嘩すると、もう、一日中、とっても心がいやーな気分になってしまって、それがどうしても、どうしても…」と悩みを打ち明けてくれた。
 
そうか、この人は善人なんだ。でも、本当の善人は、嫌われるのがイヤだからと、善い人ぶったりはしない。正しい強さを持ち合わせなければならない。
 
「Fさんには、子供さんがいるよね。Fさんは、どんなときに子供を叱る?Fさんのことだから、自分のそのときの気分で、自分の鬱憤をはらすために子供に八つ当たりすることは絶対ないよね。それでも叱るときは、それが子供の成長のためだと信じている時でしょ。たとえば、危ない時には、本気で叱る。それで子供が泣いても、相手の将来のためだと思ったら、自分に自信もって、それが自分の当然の責任だと思って叱るでしょ。
 
仕事も、おんなじじゃないのかな。
 
Fさんには、何が本来正しい姿なのか、業務上の判断ができるだけの技術も知識も経験もある。そう、あなたはプロなんだから、プロとしての自信と責任をもって、問題解決に当たって欲しいのよ。」
 
真面目なFさん、毎日毎日、必死にがんばってくれていた。徐々に成長が見え始めている反面、本人の自己評価は低かった。そんなある日のこと。
 
「ねぇ、Fさんは、香港にやってきて、将来どういう自分になりたいの?」と聞く私に、Fさんは答えた。「えぇ…今は、とにかく自分の仕事をきちんとできるようにがんばるだけですから…。」
 
謙虚で自分をわきまえているFさんらしい回答。きっと、大きな夢を語る前に、目の前のことすらきちんと出来ない自分を責めているのだろう。それは、彼の誠実な人柄のせいでもあるのだけれど、私はどうしても、彼には希望をもってがんばって欲しかった。
 
「Fさんが香港に移住してきたのは、どうして?」と続けてたずねる私に、ぽつりと答える。
 
「子供の教育を考えたら、香港のほうが、可能性が広がりますから…。」
 
「そうか、家族の幸せのため。それは本当に尊い動機ね。でもね、私はFさん自身にも、将来のキャリアをイメージして欲しいと思うの。
 
10年後、20年後、ずっと今の能力と職務のままで、この会社に勤務し続けているっていうことは、香港ではあり得ないと思うのね。Fさんの能力は、必ず向上する。そのとき、レベルアップしたFさんに、この会社がもっと上の仕事を任せているか、もしくはFさん自身が、自分の能力を更に発揮できる仕事に転職しているか、どちらか。それじゃ、そういう将来のFさんに必要な能力って、何だろう?
 
ただのエンジニアだけじゃ、代わりはいくらでもいる。日本語が分かるエンジニアだけじゃ、まだ弱い。今回は営業部所属のエンジニアになったことで、技術部所属のエンジニアだった過去の勤務先とは、かなり勝手が違って戸惑っていると思う。でもね、エンジニア、プラスアルファの部分がユニークであればあるほど、Fさんの価値は高まるのよ。だって、他の誰も代わりになれない存在になるから。新しい場面に遭遇しても、自分の付加価値を高めるためだと前向きに考えて、がんばって欲しいの。」
 
そんな毎日を繰り返し、あわただしく月日が流れるなか、延長された試用期間も無事にクリアできるだけの水準に達してくれたFさん。
 
そこから更に半年。ふと気がつくと、顔を真っ赤にしながらも、相手に自分の見解を伝えようと主張しているFさんを見かけることが多くなった。自分から製造現場に出向いていって、プロの目で担当者達と堂々と対等に渡り合う。図や数式を書いては、理論で相手と議論するのは、エンジニアというバックグラウンドがあるFさんならではのプロの仕事ぶりだ。周りの同僚達も、「Fさんは、本当に強くなったよね~」と異口同音に言うようになった。はにかむFさん。
 
よく、がんばってついてきてくれた。Fさんのひたむきさに、そして、目覚しい成長に、励まされてきたのは私。本当に本当に、ありがとう!
 
さらに嬉しいことがあった。立場上、宿敵になりがちな品質管理部門。とはいえ、私とは戦友のような仲間意識で結ばれているマネージャーが、ある日私にポツリと言ってくれた。
 
「うちの部門のスタッフ達は、どうしても内部の人間だからお客様の立場にたって客観的に問題を認識するというのが難しい。でも、Fさんが営業部の視点からお客様目線を代表して、批判的にコメントしてくれる。そうやって、うちのスタッフの仕事を支えてくれることは、実はとてもありがたいんだよ。批判者は嫌われ役になってしまいがちで辛い役回りだろうけれどね、改善のためにはなくてはならない存在なんだ。僕は、自分のスタッフ達も、Fさんのような人材に育てたい。」
 
さて、Fさんとの二人三脚が始まって一年が経った頃、私に転機が訪れた。会社を辞めることにしたのだ。私がいなくなったあとのFさんがどうなるか気がかりだったけれど、それは無用な心配だった。というのも、今でも時折様子を知らせてくれるFさんからの、最近のメールに書いてあったのだ。
 
「あのときの未解決事項ですが、その後、私が○○部署の△△さんを叱って、レポートをやっと出してもらい、客先にちゃんと提出しましたので安心してください。」
 
「え、△△さんって、本当に手ごわい相手で、私でさえ手を焼いていたマネージャー。それを、叱ったって、誰が?Fさんが?? もしそうなら、私、Fさんのこと、本当に誇りに思うわよ!Fさんは、正しいことを主張しているんだから、いつも自分に自信もっていてね!」
 
上司の私がいるから、権力に逆らえないから、しぶしぶ「喧嘩」しているのではなかった。私がいなくなっても、自分の考えとしてそれが正しいと思うから「喧嘩」する。Fさんは、私の思いを、ちゃんと自分のものにしてくれたんだ…。
 
嬉しかった。心の底から、嬉しかった。
 
 
喧嘩には、二種類あると思う。
 
勝者が敗者を支配する正統性を得るための喧嘩と、お互いの幸せを願うからこその、魂の主張としての喧嘩。
 
前者は敗者の心に禍根を残すけれど、後者は相手の心に伝わるものが、きっとあるはず。
 
私が移民として香港で暮らしてきた日々のなかで得たものは、そういう、私に対して全力で伝えようとしてくれた人々の思いや願い。国籍や文化や立場の違いを超えて、本物は必ず伝わる。香港人や中国人の人生の恩師たちが伝えてくれた価値ある教えの数々や、背中で語ってくれた彼らの尊い生き様が、今の私の中で結晶化している。