日本語力アップ大作戦

私の働いていた香港系企業では、当然ながら同僚はほとんど香港人か中国人である。そのなかに日系顧客を担当する「日本チーム」というのがあり、日本語スピーカーの集まる精鋭部隊が私のチームメート達だ。中国工場には、6人のラブリーな女の子たち。みんな20代で、私にとっては可愛い妹分。大学や語学学校などで日本語を勉強した経歴をもっている。

日本にビザなしで出入りできる香港人と違い、普通の中国人にとって日本は簡単に行ける場所ではないし、街場から離れた工場で寮生活を送る彼女たちにとって、本物の『日本』はいろんな意味で遠い。日本語を勉強し続けていこうというにはかなり環境的な制約もある中で、生きた日本語に接するには、テレビドラマ以外には業務を通じたお客様とのコミュニケーションがメインになる。ところが、日本の企業戦士はほとんど男性なので、彼らとのメールのやりとりに慣れた彼女たちの日本語表現は『○×殿・・・よろしく願います』といった具合に、最初はかなり男性的だった。

ネイティブの私としては、気になる場面もある。でも、よっぽどの意味の取り違えや差し障りが無い限り、私は彼女たちの文章をうるさく訂正しないようにしていた。のびのび仕事をしてもらうためには、あまり口うるさくして萎縮されては逆効果だという心配もあるし、私の書くメールの文章や話す日本語から、女性的な表現を徐々に学んでもらえればいいのだから。そのために、いつもお手本となるような美しい日本語の使い手であらねば・・・と勝手に気負っている私。

さて、彼女達は本当にラブリーで、私は毎日楽しく仕事していた。

 残業続きな激務の私を気遣ったBちゃん。「あのぅ・・・失礼ではございますが」と前置きするから何かと思ったら「今日もA.さん、残業ですか?がんばってください!」との激励。いやいや、そんなの全然失礼なんかじゃないよー。「失礼ですが」というフレーズを使う場面としては微妙だけど、心配してくれてすっごく嬉しい。ありがとね!

あるときそのBちゃんに、週末は何をして過ごす予定?と聞くと、「えぇっと・・・あのー・・・(もごもごもご)」え?ごめん、なんて言ったの?「えぇっと、ですから、あのー、お・み・あ・い・・・・」きゃ~っ!なになに!?「ないしょにー、してくださいぃ」といってぼそぼそと打ち明け話をしてくれる。「でもぉ、少し不安ですぅ」という彼女。だいじょうぶよ、きっと上手くいくから!と励ますと、「A.さんは、私より、すこぉしお姉さんですね。ですから、もっと一緒に、がんばりましょう!」と逆に励まされる。ははは、いやぁ、「すこぉし」どころか「だいぶ」お姉さんだけどね(汗)。

彼女達に少しでも自然な日本語表現に触れて欲しくて、先日、日本語の本を何冊か差し入れした。みんなそのときは嬉しそうに喜んでくれたけれど、しばらくして「本、どうだった?」と聞いてみると、なんだか表情が冴えない。そこで話を聞いてみると、Cちゃんは「読むのが疲れますぅ」という。知らない言葉が沢山でてくるから?すると隣のDちゃん、「それもありますが、縦に読むの、大変です。」 え? さらに話を聞いてみると、中国の本は横書きなのだとか。そういえば、香港の活字も基本的には横書きで、縦書きの出版物は台湾からのものだ。「だから、縦に読むの、大変なんです。それで、本を横に持って読んでみましたが、やっぱり疲れますぅ」・・・ぷぷっ、いや、縦書きの本を横に持って読んだりしたら、そりゃぁ余計に眼が疲れるでしょー。でも、そういう可愛い努力をしてみてくれた、というところが、なんとも言えずラブリーなのよね、この子達。

ごめんごめん、それじゃぁ、今度は他のもの持ってくるね。何がいい?・・・するとすかさず、Dちゃんから「コナン!コナン!」という答え。ん?それって何?「え~、A.さん、知らないんですか?日本では有名ですよね?」そして、紙に「柯南」と書いてくれる。え~、なんだろ?すると他の子が、その文字の前に「名探偵」と書き足してくれた。うんうんと肯く周りの子達。「日本の漫画ですよ~」という。ごめん、知らなかったよ・・・(あとでこっそり、ウィキペディアで検索した私)。

そうねぇ、漫画はあまり詳しくないけど、他に何かリクエストある?どんなものだったら読んでみたいの? するとDちゃん、「女の子の雑誌!」。あー、それならお安い御用だわ。あ、でも待って、私が読むのは女の子の雑誌っていうより、”お姉さん”の雑誌だなー。

そんなやり取りの数日後、日本出張の機会があった。そうだ、彼女達へのお土産に、漫画を買おう!スケジュールの合間を縫って、東京駅前の丸善に立ち寄る。うわー、圧倒されるほど種類があるけど、いったいどれがいいんだろう??とりあえず「コナン」でしょ、それから・・・。散々迷いながらも、私も知ってる『ちびまる子ちゃん』『コボちゃん』のような古典(?!)とか、一冊で完結している少女漫画をいくつか選んだ。

出張から戻ってすぐDちゃんに「コナン買ってきたよ!」と伝えると、「え~!本当ですか?ありがとうございます!!」と嬉しそう。うふふふふ、コナンだけじゃないのよ。全部で6冊買ってきたから、みんなで回して読んでね!といって包みを渡すと、文庫本をあげたとき以上に大喜びしてくれた。よかったー。

探偵物が好きなDちゃんとは対照的に、Bちゃんは「私は、ラブストーリーが好きです」という。そっかー、ごめんBちゃん、このあいだ『負け犬の遠吠え』なんてあげちゃって。ラブストーリーとは対極にあるものだったね(笑)。胸がキュンとするような少女漫画も買ってきたから読んでみて!

次の日、Eちゃんから内線電話がかかってきて、「漫画、ありがとうございました。私はねー、いま、ちびまる子ちゃん、読んでますよー。」という報告。読みづらいところ無い?と聞くと、「大丈夫。それに、かわいいから読むの楽しいですよー。」そっかそっか、今回は楽しく読んでもらえているんだ。気に入ってもらえたのはすごく嬉しいけど、そのうち、Eちゃんがまる子ちゃん風な日本語をしゃべるようになっちゃったらどうしよう、ははは。

彼女達とは毎日、何往復もの電話のやりとりがあるのだけれど、私はいつも意識的に、やわらかい表現を使うようにしている。その甲斐あってか、彼女達の表現もだんだんやわらかくなってきたような気がして、私は内心喜んでいた。

さて、そんな日常に最近、日本語スピーカーの中国人男性スタッフが加わった。私は普通に口語体で会話しているけれど、エンジニアである彼から返ってくる日本語は、技術書そのもののように正しくて生真面目だ。そんな彼は私の目の前の席に座っているので、私の発する音声に恒常的にさらされるはめになる。物静かな彼にとっては私の声がひっきりなしに聞こえるなんてうるさく感じられるかな、でも語学学習の環境としては理想的ともいえるわよねー、なんて勝手に都合よく解釈して気にしないでいたところに、昨日もらった彼から私宛の業務メール。彼の四角四面な硬い文章を読み進めていくと、最後の〆に『よろしくねぇぇ』の文字。うわ!なんだ?!・・・あ、これってもしかすると、私の口調、そのまま?